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用賀-その地名の由来

用賀村の誕生

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「草分け七軒百姓」という言葉がある。 信州飯田から菊地を名乗る三兄弟が共の者2人を連れてこの地に来て飯田と改め土着したといわれている。この五軒の家と元からこの地に住んでいた二軒の農家を併せた七軒を草分けといっていた。

「新編武蔵国風土記」には村の草創は、永禄、元亀の頃(1558~72年)、飯田帯刀、同、図書、ナドトイヘル人の開発ナリトイヘドモ、スベテタシカナルコトハツタエズと記してあります。後に飯田帯刀の子、図書が真福寺を開基したことによって、村が開かれたといわれています。

用賀という地名は鎌倉時代初期に勢田郷に瑜伽(梵語:ユガ)の修験道場が開設され、後に真福寺の所有となったことからこの梵語「瑜伽:ユガ」がヨーガの地名となったといわれています。

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